「KOMATSU NINE MEETING」は、地域で暮らす/働くゲストと、聞き手との対話を通して、小松の日常にある“続いていくもの・変わっていくこと”を考えていく対談企画です。
【ポットキャストはこちらから】
第7回目のゲストは 下濱貴子(しもはま たかこ)さん。

<下濱貴子さん>
愛知県 春日井市生まれ。富山大学の人文学科を卒業後、小松市へ。2022年4月より、小松市埋蔵文化財センター所長を務めたのち、
2023年4月に小松市役所 小松市交流推進部 文化振興課 担当課長に就任。
<聞き手:小林太一>
山梨県生まれ。大学を卒業後、都市銀行や農業ベンチャー企業に勤務。
2022年、小松市が公募した特定任期付き幹部職員に採用され、小松市観光交流課で勤務。
2025年6月より、(株)こまつ賑わいセンターの代表取締役社長に就任。
目次
1、「自分が見つけたかった」発掘調査の魅力とは
2、「遺跡の上で遺跡を語りたい」八日市地方遺跡(ようかいちじかたいせき)とKomatsu 九 での展示について
3、「あたりまえの凄さ、良さ、大切さ」伝え人の役割、「弥生を知る」から、「弥生を今につなげる」へ

1、「自分が見つけたかった」発掘調査の魅力とは
小林「もう出会って4年ぐらい経ちますかね。当初は埋蔵文化財センターの所長でしたよね。」
下濱「そうですね。最初は所長で、令和5年から担当課長という一緒の立場でしたね。」
小林「そうですね。 今でもよく街づくりの取り組みが小松の文化や文脈からしてどうなのか、というのを相談させてもらっています。」
小林「下濱さんは、ご出身は小松ではないですよね。」
下濱「そうですね。私は1973年生まれ、愛知県の春日井市出身になります。」
小林「そこから学生時代も春日井市で過ごされたんですか?」
下濱「小学校、中学校、高校までは春日井市でした。
小学校の時は親が友働きで、いつもおばあちゃんのところに預けてもらっていました。
その頃の楽しみと言えば、夏休みの図書館。その図書館で自分が好きな本を見ている中で出会ったのが、古代エジプトだったんです。
象形文字とか古代文字を覚えたくて、 単語帳とかに書きながら学んだりしていく時に、 もっともっと深い本を知りたいなって。
図書館には中学校以上になったらいける場所があったんですけど、私はまだ入れなくって。なんで私は行けないんだろう…とか思っていました。
そんな中、5歳離れたお姉ちゃんに行って借りてもらった本が、ツタンカーメンの発掘調査をするという内容のものでした。
その中でカナボン卿とカーターが発掘調査をするっていう話があって(ツタンカーメン発掘記 著ハワード・カーター 筑摩書房)、
それに6年生の時にすごく感動して、自分も発掘調査したいって。」
小林「そこで発掘に興味を持ったんですか? 」
下濱「そうですね。小学校の卒業アルバムって、みんな将来やりたいこととか、好きな食べ物みたいなのを書くでしょ? 私はそこで『考古学者になりたい』と書いていました。」
小林「周りになかなかいなかったんじゃないですか?」
下濱「うん。親には、大学を選ぶ時も『ちゃんとお金の稼ぎになるような経済学部とかを選びなさい』と言われていました。でも考古学人文学部に行きたいって言って、なんとかすくってもらったところが富山大学でした。」
小林「その時に北陸に来たんですね。」
大学生時代のお写真
下濱「そこで初めて雪国の世界へと入りました。
本当に雪の上の歩き方も知らなくて。北陸の人って、なんか滑らないんですよね。 歩き方の踏みしめ方が違うっていうのを、大学1年の時に身に染みて経験しましたね。」
小林「なるほど。エジプトのことを聞くと、別に掘るのが好きだったわけじゃなくて、 エジプトに興味を持った感じですか? 」
下濱「自分で発見したかったという思いが一番強かったです。 新たなものを自分の力で発掘したい。綺麗なものとかじゃなくて、今まで分かったことがなかった文化とか、社会とか、それを自分が見つけたかったんです。それが発掘調査だと思ってました。」
小林「そういう考え方だったのか。物に興味があったとかじゃなく。」
下濱「自分が文化を変えたいっていうのかな。今までのエジプト文明のあり方が、ツタンカーメンでの発掘調査の中で変わっていくような体験を、自分が経験したかったんです。」
小林「なるほど。 歴史を学ぶというと、すごいニッチな言葉になっていくイメージがありました。けれど、「当時の社会や文明はどのようなものだったのか」という仮説が常にあり続けて、発掘によって新しい資料や遺物が見つかるたびに、その仮説を検証し、「実はこうだったのではないか」と新たな見方が生まれる。その積み重ねが楽しいですよね。」
下濱「じゃあ、なんで今エジプトじゃなくて、小松にいることになったのかというと、私の恩師に『世界を知る前に日本を勉強しなさい』と言われたのがきっかけだったんです。それで、『そうか、エジプトとか中近東をやる前に、自分の今いる世界を知らなかったら比較もできないし、何も分からないんだ』って…その言葉に完全に騙されまして(笑)。」
小林「確かに…って思いますよね 分かっている方から言われると(笑)。」
下濱「その中でも、私にとって最も大陸を感じられるのが、弥生時代だったわけです。」
小林「ザ・日本というか、大陸とのつながりを感じていきたいし、ってなると、時間軸的には弥生だったんですね。」
下濱「今までの、地形の中にあって自分たちの生活循環というのがある縄文の生活カレンダーとは別に、自分たちが新たな米作りという技術を持つことで、新たな四季のカレンダーというか、マストでやらなきゃいけない米作りっていうのが、ある形になった瞬間に、 縄文時代から弥生時代ってすごい変化なんですよね。」
下濱「弥生の米作りが始まって、 そこから里山っていうキーワードが出てくる。 『ふるさと』の歌詞って太一さん知ってる?」
小林「兎追いし〜♪」
下濱「あの歌の風景って、縄文時代ではなくて、やっぱり弥生時代ができた世界と思っていて、田んぼができることで、米作りとその収穫ができるっていうことだけじゃなくて、
この酸性土壌の日本の中で、お水を張ることで酸性が中性になるでしょ? そこで米の収穫ってなってくるんですけど、
水も人工的に張るっていうことで、フナや鯉とかがいっぱい集まってきて、そしてタニシもできて、それに生き物って、人工的に作った自然体系の中でも、
さらに豊富になってくる。そういう在り方を作っていくっていうのが、今までの縄文時代と違って、
弥生時代の在り方っていう風に、なんか最近いろいろと思うところです。」
小林「確かに確かに。そこは文明が発達していく中でも、まだすごい分かりやすい繋がりがあったってことですね。」
下濱「小松なんかだと、今から1万年前の縄文時代の始まりも、 弥生時代も変わんないんでしょって言うけど、
実は白山も大きな火山があって、私たちが見ている白山の風景は、実は2000年前、弥生時代から私たちが見ている形に変わってたりとか。」
小林「聞いていくとどんどん楽しくなっちゃいますが。 先生に言われて、外を見る前に内をということで、 弥生を知って、 もうかれこれずっとやってらっしゃるわけですけど…」
下濱「全然エジプトに行けないまま、もう50代を迎えちゃいました。
小林「去年どこ行きましたっけ? 」
下濱「去年はホンジュラスに行きましたけど、 石のつながりでね(笑)。 」
公立小松大学と金沢大学と合同で行った、中米ホンジュラスでの異文化体験実習の様子
コパンルイナス 発掘調査体験の様子

コパンルイナス コパン遺跡
ホンジュラス コパンルイナス ひまわり園にて
小林「その後、下濱さんは小松とどう出会ったんですか?」
下濱「恩師の影響で、 まず世界の前に日本の弥生時代を勉強しようって決めたんですよね。だけど、大阪とか近畿地方と比べると、当時の北陸は弥生時代があまりメインではない地域でした。
それで、私は卒業論文を書くために、大阪で就職した大学の先輩のところで、住み込みで発掘調査をさせてもらって、大阪で弥生時代の勉強をしました。
そして卒業論文も、『 河内平野における弥生時代の方形周溝墓の動態』みたいなテーマで書いたりしました。
大阪府 若江北巨摩廃寺遺跡 発掘調査の様子(当時大学4年生)
その時に、『大阪でこのまま就職せえへん?』って言われて。でも、大阪はいろんな研究者もいて、すでに結構研究されてきた地域なんですよね。
そこよりは、やっぱり『これから』っていう地域がいいなって思った時に、ちょうど平成6年から、小松駅の土地区画整備事業で昭和5年に遺跡が発見された八日市地方遺跡(ようかいちじかたいせき)の発掘調査をするという話があったんですよ!
それで小松市の職員から、八日市地方遺跡の調査をしてるんですが、ぜひ弥生時代を勉強してる人に就職を考えてもらえませんかっていう、 私の恩師のところへのラブコールの電話がありました。 それで、『あ、めっちゃ行きたい行きたい!』と思って。小松ってまだまだこれからだよね!って(笑)。で、そこから小松市役所の採用試験を受けました。」
八日市地方遺跡 市役所入所前
八里向山(やさとむかいやま)遺跡 発掘調査の様子
下濱さんは小松市役所に入ったのち、八里向山遺跡の発掘調査を1年間担当されました。その経験が、今の下濱さんをつくりあげる大切な機会へとつながったそう。
小松駅側からみた八日市地方遺跡
小林「すごいなあ、ラブコールがきっかけだったんですね。」
下濱「そうですね、ラブコールはあったんですけど、結果的には平成7年の時に試験は落ちて」
小林「ええー!」
下濱「だけど石川でやっぱり弥生時代やりたいと思って、1年間石川県で職託をして、もう一度今年も受けてくださいっていう話があって。それでまた受けて、落ちて。」
小林「え、また?(笑)」
下濱「落ちた後、欠員募集が出たところを拾ってもらいました。」

小林「それだけの決意、覚悟があって小松に来られたんですね。自分で文化を見つけるという…。」
下濱「分かっていないところを、自分が見つけていきたい。それをまた発信していきたい、なんて言うと、欲みたいな感じに聞こえるけど。 地中から掘った瞬間が、2000年前と私がつながる瞬間なんですよ。 そこには嘘偽りが一切ない。」
小林「確かに。遺跡は嘘をつかない。」
下濱「つかない。資料批判とかもする必要もない(笑)!」
小林「今、一緒に起ち上げたKomatsu 九のホールで喋っていますけど、僕は2022年から来て、話を喧々諤々しながら進めてきましたが。下濱さんからしたら、平成6年からすると、 30年くらい経っていますね。
下濱「そうですね。私としてはこの小松の八日市地方遺跡に自分を作ってもらったと思っています。 同時に我が子のようでもあり。
文字がない時代だから、 無機質で残る土器は『時代のものさし』なんですよね。そのものさしを使って年代を組み立てていくわけですが、それが評価されたのも、遺跡・資料の豊富さがあったからで。一生懸命調査を進める調査員に対して、遺跡が応えてくれるような感じでした。」
下濱「それを研究の場だけでなくて…やっぱり(遺跡は)今住んでいる小松の人たちに脈々と繋がってくる原点となるところだし、発掘調査した私だけが知るのじゃなくて、求められた時には伝える、そんな機会を持てるとすごく嬉しいなとは思ってました。」
2、「遺跡の上で遺跡を語りたい」八日市地方遺跡とKomatsu 九 での展示について
小林「僕らが普段ここにいる中で、小松にいる人たち、 小松から出た人、小松に来た人を迎えて、このホールを活用して、『小松はね』って喋ってるんですよね。それを見た時に、2000年以上前の小松人と今の小松人が、繋がってるって。めっちゃ豊かやなって。」
下濱「そうですね。 遺跡の上で遺跡の発信をしたいってずっと思っていたんです。発掘の成果を伝えるといえば、博物館でも良いのだけれど、やっぱり遺跡を語るんだったら、その遺跡の上で語りたいなと。
そう思っていたところに、小松駅でのものづくりと交流をテーマとした場所づくりの話が動き始めて、埋蔵文化財センターの方をはじめいろいろな方に、『下濱もやらんか』って言われて、『もう、やるやる!!』って、 ぜひ、発信できるように作らせてほしいという想いから今のKomatsu 九 展示になりましたね。」



Komatsu 九 ギャラリー&イベントエリアの常設展示
小林「Komatsu 九 のホールには、弥生土器を含めていろんな素晴らしい作品というか、当時の道具が置いてあるんですけども、全体的なコンセプトはどういったものですか。」
下濱「小松の交流とものづくりを語れる施設といったときに、やはり2300年前のものづくりと交流の原点はこの弥生時代、八日市地方遺跡にあり、ということで。先人たちが行ったものづくりと交流を知ってほしいなという流れの中でホールの在り方があります。」
小林「ものづくりと交流ですね。ものづくりというものが全国あれど、小松の特徴はどういったところなんですかね。 」
下濱「天気のいいときに安宅の港へ行くと、『白山』の名前にふさわしいすごいきれいな山が見えるんですよ。 どの時代であってもその景色は変わらず、この地へ日本海の海を陸伝いに来る人たちにとってのランドマークが白山だったんですよね。梯川を登っていると、ここが小松だよねってわかる場所があって、それが多くの人とか物資の交流を生み出してきたのだと思っています。なので私の名刺にはいつも梯川の河口の写真を使っているんですよ!」
梯川河口からみる白山
小林「弥生時代から水の上を移動してくる中で、白山が見えたら小松に着いた、という。」
下濱「海岸部はあくまで交流の玄関口ではあるんだけれども、やはり今でいう北陸新幹線、そして世界のコマツとも言えるこの場所が、核となるには良い場所だったんです。
そこの姿を、このKomatsu 九のホールで見せられればということで、発掘調査で見つかった本物の資料を展示しています。(一部はレプリカ)ふと見たときに『何だろう、これ』と思った人が、また振り返って見てもらえればと思っています。」
下濱「博物館施設っていうありきたりな形じゃなくって、みんなの生活に溶け込むような施設をつくりたいなと思ったんです。その場所で、今の子どもたちがものづくりをしたり、交流したりできる施設にしたいと考えました。土器を通して今の姿が見える、そんなイメージを思い描きながら、一つ一つ土器を一生懸命並べましたよね。」
小林「ちょっと解説要るよねって言った時に、AIになった下濱さんが壺から出てきて遺跡の解説をする…なんて案もありましたもんね(笑)。」
下濱「団体で来て解説してほしいということでしたら、自分の予定が空いていれば、ぜひ解説もしますし、私が無理なときには、埋蔵文化財センターにも頼もしい方々がいるので、土器のお話聞かせてもらえると思います。」

小林「本当にいろんな地域からホールを見に来てくれてますよね。」
下濱「そうですよね。ここでは、弥生時代の土器研究会を皮切りに、研究者でも利用したり、それ以外にもいろんなことをやってきてるんですよね。」
小林「そうですね。いろんな最近の取り組みって、地域に付随しないものも多いと思うんです。だけど、ホールで弥生土器が飾られている中で、『小松5.0』
(https://www.city.komatsu.lg.jp/soshiki/1003/smartcity/12996.html)と呼ばれたりもする、小松の未来を見据えた人たちがお話やプレゼンをして、みんなと向き合ったその先に弥生時代があるという場面があります。(未来を)見据えている先に小松の2300年前の小松人の名残が見える感じがして、(ホールでの展示が)なにか小松らしさを無意識の中に取り込んでくれる機会になるのかなと思ったり。」
下濱「そうですね。だから、私と太一さんと一緒にこの施設を作ることに関わってくれた建築士の山崎君が、若くて、やる気があったから、すごい良いものになったなと思っていて、ぜひ彼が語ってくれている小松市のnoteのページを見てもらえると嬉しいです(https://komatsu-city.note.jp/n/nc4792fe5ceb7)。
『地中に入っているイメージを持たせたかった』って言って、すっごい照明にもこだわってくれて。なので、ここのホールにある土器たちって、すごく綺麗に見えるんですよ。先人たちが残した細かい土器の作り手の刷毛目とか、模様も綺麗に見えるし、土器のフォームを壊したくないっていう、私の要望にもすごく応えてくれたものになっています。地震にも絶えましたしね。」
小林「山崎さんの存在は確かにすごく大きかったですよね。いろんな方々の関わりと思いが共感し合いましたよね。新幹線が通ってから、ビジネスホテルが建ったりとかマンションが建ったりとか、いろんな町屋の不動産が動き始めていますし、多分、これから図書館ができたり、病院が入れ替わったり、空港もまた建て替えることも起きてくると思います。 そうした時に、『小松とは?』『小松としては?』みたいなことを考えたとき、まちづくりの人間として、どういう動きや情報を発信したらいいと思いますか?」
下濱「今、当たり前になっていて、気づけていないっていうものが小松にはたくさんあると思うんです。 そのあたりまえの凄さ、良さ、大切さに気付けれる機会があることが、小松への誇りに繋がると思うんです。そしてそのきっかけづくりを私たちが担えたらすごく幸せだなって思ったりします。」
小林「確かにそうですね。この前、芦城中学校の授業に参加させていただいたとき、子どもたちの反応に、僕はすごい元気をもらいましたね。質問に答える時、一斉に『前田利常公!』って答えてくれた、あの瞬間は『小松やな』って思ったんです。」
3、「あたりまえの凄さ、良さ、大切さ」伝え人の役割、「弥生を知る」から、「弥生を今につなげる」へ
下濱「『歴史と文化と産業』というテーマを芦城中学の授業で話した時ですね。まちづくり5.0の話をしている時に、大事な画期が弥生時代と国府の設置と、江戸時代で、『前田』と言ったら、みんなが『前田利常!』って!
ちょっと眠たそうだった子達も、あの時は一気に私の方を見てくれたみたいな。 その時にやっぱり芦城校下の中でも、城下町を作り上げた、前田利常さんのすごさをグッと感じましたよね。 」
小林「小松から出ていく子も、小松人になる子も、小松1.0、2.0という単語が共有化されるだけでも、安心するのかもしれないですよね。
今こうやってまちづくりに関わらせてもらっていて、まだ探求しきれていないところや、繋がりってあるなとは思いながらも、僕は何か自分でやりたいというよりかは、みんなが『残したい!』とか、『やっていこう!』っていう気持ちを良いものだと伝えた上で、それを繋いでいくことに、すごいやりがいを感じますね。」
下濱「そういうものに気づくっていうところがあるから、ふっと振り返ってみてもらえたらいいですよね。 」
小林「小松らしさや、小松のまちづくりの変遷を話す時に、前田利常公とかだったり、小松製作所とかなんかキーワードが出てくるんですよね。そういうことは、その人たちってどういう思いでやったんだろうとか、なぜ小松でやったんだろうとか考えさせられます。それが生み出される謎のエネルギーが生み出される土地というか…。」
下濱「やっぱり北陸って、中国大陸から見たら日本海を内海にして、大陸に近い場所だなって思う時が結構あって。今小松市でも『裏日本』と言って、2040年以上の歴史を持ってるんだけど、自分たちの立っている場所を起点に、その自分たちの在り方っていうところから、もっと視野を広げてみたらすごい世界に近かったり。そこの中に自分たちもいるって思ってもよかったり。小松って古いものを固守しつつも、新しいものを最先端へと進んでいける場所なのかな。」
小林「確かに。」
下濱「私たちみたいに新しい人も受け入れてもらいやすい町だなって思う時があります。ちょっと行き過ぎたかなと思う時は、ふと振り返ってもらって、ぜひ学芸員の話を聞いたり、Komatsu 九に来て2300年の前に触れて、小松をまた感じてもらったら、ありがたいですね。」

小林「小松に何かを気づきに来た人は、どこに行っておけばいいですかね?」
下濱「人と接してほしいよね。街並みも人が動いているからこそ良いものになっていって、古いまち並みをどう活かすのかが、古いまち並みとして生きてくると思います。
大変なこともあるかもしれないけど、小松の人がそれと向きあっている姿を見ると、外から来た人たちも元気をもらって帰っていくんじゃないかなと思います。」
小林「そうですね。いろんなものが生み出されていて、ものづくりを起点とした視点で、当たり前にあるもののあり方を見直したりしている方もいて…
その視点ってすごいこの地に根付いているのかなって。地形的にもいろんなものが集まりやすくて、それが日常になっているというところも小松らしさですよね。」
下濱「だから、新しいのが生み出しやすいんですかね。」
小林「すごくそこには熱量を感じるところではありますね。これまでのNINE MEETING のラジオなどを聞きながら、疑似的に小松人に合った雰囲気でまちを歩くとかね。新しい何かに触れながらも、文化を感じてというバランスを整えるときに、小松のまちと出会ってくれるといいのかもしれないですね。」
下濱「そうですね、『自分と向き合う旅、小松』みたいな。」
小林「いいと思います。それぞれの場所で出会って言われた言葉に返ったり、お寺の前に毎月変わる言葉があって、それを受け止めた時に自分のバランスというのが常に調整される感じもしたりするなあ。まだまだ弥生を深掘る余地があると。」
下濱「もちろんです。今『弥生を知る』というところから、『弥生を今につなげる』っていうのが今の私のミッションです。それをこのホールを通してできるといいですね。」
小林「 確かに。すごく大それたことではなく、日常につなげる感じですよね。ぜひぜひ、これを聞いてくださった方は、周りの方も連れながら、小松ってこんなんだよねみたいな話を一つ一つしてもらえるだけでも嬉しいなあと思っているところでございます。」
小林「ということで、あっという間にお時間が来てしまいました。KOMATSU NINE MEETING 最後までお付き合いいただきありがとうございました。次回のゲストもおたのしみに。」
KOMATSU NINE MEETINGは、Spotifyにて音声での配信も行っております。
ぜひ、そちらもご清聴ください。
<about>
埋蔵文化財センター
住所:石川県小松市原町ト77番地8
TEL:0761-47-5713
HP :https://www.ishikawa-maibun.net/
Komatsu 九 小松市観光交流センター
住所:石川県小松市 土居原町13番地18
TEL:0761-58-2775
HP :https://www.komatsu9.jp/
